死ぬかもしれない!?つわりと妊娠悪阻と言う病気③ ~地獄のような日々~

妊娠・出産

①では「私が悪阻について書く理由」と、②では「妊娠からつわりが始まるまで」を書いてきました。今回の記事ではその”つわり”が最悪の”重度妊娠悪阻”に変わるまでの様子を纏めていきます。

つわりと診断されるまで

6週で出血し、“切迫流産”で仕事を休職した私ですが、初日から”つわり”らしきものが始まりました。前記事でも書きましたが、正直この時点では気持ち悪いことですら嬉しく(切迫流産の不安もありましたが)、つわりがあると言うことは無事に赤ちゃんが育っている証だと思っていました。ただ、どうしても気持ち悪い…。車酔いのような感覚です。

つわりってこんなにしんどいんだ…

もちろん初めての事だったので戸惑いがありました。想像以上に気持ち悪かったのです。

でもまだテレビも見れるし、スマホも触れたので1日中横になりながら、スマホで「つわり いつまで」「つわり 終わり」「つわり 食べやすいもの」などど検索しまくっていました。(もしかしてこの記事を読んでくれてる方も同じ状況の方もいるでしょうか)

ただ、どのサイトにもつわりのークは8週~10週、12週~16週ごろには落ち着きます、と書いてあったので、「少しの間辛抱したら落ち着くんだろうな」「早くお腹出てこないかな」と呑気に思っていました。

次の日。

私はほぼ何も口にすることも出来ず、テレビの画面ですら気持ち悪くなるようになりました。この日食べられたのは、イカ(をかじったくらい)。なぜこの時イカが出てきたのか謎でしかありませんが(実家にいる母が出してくれたのだと思います)、このイカですらほぼ食べられず、飲み物もペットボトルのお茶に少し口をつけられた程度でした。

頑張って食べようとすると、嗚咽。昨日までに食べていたものが、出てくる出てくる…

え、何これ。つわりじゃなくて、何か他の病気なんじゃない!?!?

と思うくらいの気持ち悪さでした。(まだ始まりでしかないのですが…)

この気持ち悪さで何も口にする事が出来ず、とにかく何もせずずっと横になっていました。そしてだいたい7週あたりからテレビやスマホの画面を見ることすら気持ち悪くなり、リビングのにおいがダメになり、人の音が鬱陶しくなりました。

なので2階にある自分の部屋に移動しました。

毎日、仕事終わりに旦那が会いに来て励ましてくれたのをよく覚えてる…嬉しかったな~(感謝)

7週目には検診がありました。ただ、この日は”切迫流産”の診察がメインです。正直、体調が悪かったので病院に行くことがかなりしんどかったですが、ちゃんと赤ちゃんが育っているか不安もあったので母に車を運転してもらい一緒に病院へ行きました(当時、コロナ渦だったので病院への付き添いはできませんでした)。

診察の結果、無事に切迫流産の絶対安静は解除され、仕事に通っても良いとの事で先生からお話がありました。

…が!!!

もはやそれどころではない程に体調が悪く、心の中で(つわりなんで相談しても良いのかな…)と思いながら、先生に伝えてみる事にしました。

あの…“ただのつわり”だと思うのですが、体調が悪くで何も口にできなくて……。今の状態では仕事も難しいかもしれません。。。(涙)

この時期の私はあまりにも知識がなく、つわりの事を“ただのつわり”なんて言ってしまう程のレベルでした。そもそも「“つわり”は誰にもあるのもで、病気ではない」と思っていたのです。母も私にそう言っていました。先生からは…

それはしんどかったね。もちろんつわりで仕事も休むことが出来ますよ。

と言われました。「え、つわりで仕事休めるの!?」と驚いたのと、優しく声掛けをしていただいたので嬉しかったのか、号泣したのをよく覚えています…。母には「つわりは誰にでもあることだから!頑張れ!!」とずっと言われていたので、少し気が抜けたのかもしれません。

そして…「あぁ正当な方法で仕事休めるんだ…」安堵しました。

また、体重も少し減ってきていたので、薬を出していただける事になりました。(あまり詳しく覚えていませんが、この時はただの胃薬程度のお薬だったと思います)

つわりで仕事を休職できるし、軽減する薬出してもらえるんだ。良かった…

帰りに助産師さんに水すら飲めないという話をすと、「レモン水」が飲みやすくて良いと言うお話を聞いたのでさっそく試してみることにしました。

この時から“レモン水”は私のつわりのお供になりました。

実はまだこの段階では”重度妊娠悪阻”ではありません。ここまでだけでも自分で書いていてなかなか酷いなと思うのですが、これは”重度妊娠悪阻”の始まりでしかありません

経験者の方分かりますよね…?😭

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地獄のような日々

それから9週ごろまでの記憶がほぼありません。

毎日のように仕事終わりに会いに来てくれていた旦那とも会話ができなくなり、自分の部屋の雨戸を閉め一日中、真っ暗な部屋でテレビや携帯を見ることすら出来ずただ、目を閉じていました。

家族が階段を上ってくる音ですら不愉快で、心配している家族がたまにドアを開けて話かけてくれるのですが、「黙って!」と怒っていたと思います。

この時点で私の妊娠は絶望でした。1日がとてつもなく長く感じるのです。

気持ち悪いから寝ていたいけど、気持ちが悪くて眠れない。夜が来るのをひたすらベットの上で待ち、夜が来るとより一層気持ち悪くなる。「あぁ今日も何もできなかった…」と、気絶するように意識が遠のく。寝たはずなのに、目が覚める。また意識が飛ぶ、気持ち悪い、その繰り返しの毎日…。

あまりの気持ち悪さにその時は気づかなかったのですが、ほぼトイレには行ってなかったと思います。水分をとっていなかったので、出るわけがないのです。ただ、吐きにトイレには行っていたので、排尿していた気になっていたのかもしれません。

9週目に姉が会いに来てくれました。私の誕生日でした。私はチョコレートが大好きなので、妊娠のお祝いも兼ねて大きなチョコレートケーキを買って来てくれました。

この時は一瞬楽になったような気がして、久しぶりにリビングに降りる事が出来ました。ケーキは1口も食べられませんでしたが、すごく嬉しかったのを覚えています。

ただ、この時の写真を見ると…

顔がヤバい…(笑)

一週間以上、お風呂に入ってもいませんでした。

もう限界かもしれない。「病院に連れて行って」

自分の誕生日から数日、それまでと変わらず地獄のような日々を送っていました。10週目近くになった時に…

私このままだと死ぬかもしれない

と、本気で思うようになりました。この時から恐怖のような感覚がありました。仕事から帰ってきた母に助けを求めます。

ごめん、お母さん。私もう限界。このままだと死ぬかもしれん。病院に行きたい。でもつわりで病院にかかっていいのか分からないから電話して聞いて欲しい。

号泣しながら母に泣きついたのを覚えています。母はすぐに私の通っている産婦人科へ電話してくれました。

(続く…)

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