死ぬかもしれない!?つわりと妊娠悪阻と言う病気⑤~入院生活~

妊娠・出産

前回までに「私が悪阻について書く理由」「妊娠からつわりが始まるまで」「地獄のような日々」「妊娠をやめたい」と思ってしまった理由を書きました。今回のこの記事では、私の経験した“重度妊娠悪阻”での入院生活について纏めていこうと思います。

これまでの記事で”妊娠悪阻”が命に関わる病気だということは理解していただいたと思います。ただ、実際の治療は何をするの…?と思われる方も多いと思いますので、体験談を含め分かりやすく纏めていきます。

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“重度妊娠悪阻”での入院基準

このままでは「妊娠を継続することができない」と感じるようになり、入院を決意した私。(決意したと書きましたが、この時点で体重は6~7kg減り、ケトン体※1も陽性反応だったのでその他の選択肢があったのかは分かりませんが…)入院して何をするのかも分からず、診察後、流れるままに入院。荷物は夫にお願いして持ってきてもらいました。

※1 ケトン体とは、体がエネルギー不足の状態に陥ったときに、脂肪が分解される過程で肝臓で生成される物質の総称

“重度妊娠悪阻”の入院基準は以下の通りです。

  • 体重が5%以上減少
  • 脱水症状
  • 栄養失調
  • 嘔吐がとまらない
  • 精神的なストレス

病院や先生によって判断は様々なようですが、尿検査から分かるケトン体の陽性反応が1番分かりやすいと思います。私の場合は、点滴で通院していた当初からケトン体は陽性でした。ただ、どうしても入院をしたくない(意地を張っていたのだと思います)と思っていたので、通院(で点滴)を無理して頑張っていました。しかし気づけば体重が6~7kg減…。つわりだけではなく、脱水/栄養失調のような飢餓状態になっていました。

そもそもお腹の中にもう1つの命が宿っているのに、これほど体重が減るのは恐ろしことです。もちろんお腹の赤ちゃんにとっても良い状態とは決して言えません。

“重度妊娠悪阻”での入院 見えない血管

入院準備(荷物の整理や寝間着への着替え)が整い、さっそく点滴をすることに。が…

看護師さん
看護師さん

血管が見えない!どこに刺そう…

聞けば脱水状態になっているので血管が見にくいとのことでした。脱水状態になると、血管が細くなるようです。最初に来てくれた看護師さんでは針を刺すことが出来ず、何人か助けを呼び、それでも何度か失敗しつつもなんとか点滴を繋ぐことができました。(痛かった…)

通いで点滴をしていた時は1回3時間ほどだったので、それぐらいを毎日するのかな…と初めは思っていましたが、入院での点滴は24時間で驚きました。

こんなに血管から水分を入れて、逆に大丈夫なのだろうか…

この時はこんな事をぼんやりと考えていました。よく考えれば数週間で6~7kg減った体重を戻すのにはこれだけじゃ全然足りないですよね…。


入院して2日間は何も食べない日々が続きました。絶食です。相部屋だったので隣の方(切迫早産で入院)のご飯の匂いがかなりキツかったのを覚えています。

また、これまで同様テレビやスマホを見ると目が回っていたので、特にすることもなくただ目を閉じて横になっていました。横になっていても気分が悪く定期的に枕元に置いているバケツに吐く日々…。相部屋の方にもとても申し訳なく思い、「いつもうるさくしてすみません…」と謝っていました。

ただ、回りに常に人がいる安心感からか、家で1人で横になっている時間よりも精神的にとても楽な気がしました。定期的に看護師さんや助産師さんが病室を覗いて声を掛けてくれるし、吐いていると背中をさすってくれたり、悲しくて(悔しくて)涙が止まらない時も話を聞いてくれたり…。同時に出産対応をしているのにも関わらず、看護師さん(助産師さん)に本当に優しくしてもらいました。(つわりに厳しい方もいましたが…)

切迫早産で入院している同部屋のAさん

この時期から相部屋だったAさんと少しずつ会話をするようになりました。先ほども書きましたが、Aさんは切迫早産で入院(2人目)しており、この時は妊娠6か月ほどだったと思います。入院初日から私が病室で吐いたり泣いたりする度に「大丈夫ですか」と声を掛けてくれました。

Aさんに”重度妊娠悪阻”で入院している事を伝えると、すごく驚いていました。Aさんは“重度妊娠悪阻”のことを知らなったようでした。


Aさんも私に自身のことを話してくれました。Aさんは2人目を妊娠中で切迫早産で既に3か月ほど入院しており、出産まで退院はできないかもしれないと言われていました。当時はコロナ渦だったので、家族との面会も週1でしかできず、しかも面会出来るのは1人だけだったので3歳になる子どもと全く会えない状況でした。初めは明るくお互いの症状のことを話していましたが、次第に2人とも涙が出てきて…

なんで私たちだけ………

と一緒に泣いていました。それからAさんとはたまに会話するようになり、お互いの持ち物を貸し借りしたり、少しずつ食べられるようになってきたお菓子も交換したりしていました。

私は3度入退院を繰り返しています。1度目の入院は1週間強。何も分からず、ただただ気持ち悪いだけの日々を乗り越えられたのは、同部屋のAさんがいてくれたからだと思っています。

退院。そして…

入院したばかりの頃は全くご飯を食べられずの状態でしたが、ご飯を運んで来て下さる方が毎回「今日はこんな料理ですが食べられますか」と持って来てくれていました。もちろん見るだけで、匂うだけで嘔吐の状態でしたが、それでも入院している産婦人科(クリニックです)のご飯が美味しいのは事前に調べていたので、その料理が食べたくて食べたくて、食べられなくても部屋に持ってきてもらっていました……(見るだけでもテンションあがる笑)

早くあのご飯を食べたい…。絶対食べてやる……(うぅ、吐く…)

そんなことを相部屋のAさんと笑いながら話をしながら、気持ち悪いのと毎日向き合い続けた結果、入院5日目あたりではご飯の4分の1ほどを食べることができるようになっていました(結局、後で吐いてしまうのですが…)。吐くのが分かっているのに、ついつい食べてしまう産婦人科ご飯…

何度か看護師さんに相談しましたが「吐いてもいいから、一旦体に入れることを頑張ろう!」のようなことを言ってもらったので、頑張って食べたいと思うものだけでも食べていました。それでも食べたら食べた分だけ吐く…。悔しいと毎日泣きそうになり、何度も心が折れ掛けました。そのたびに同室のAさんや看護師(助産師)さんが励ましてくれ、お陰で退院の日を迎えました。

1週間強の入院でした。同部屋のAさんに別れを告げ、沢山励ましてくれた看護師(助産師)さんには「出産の時にまたよろしくお願いします!」と頑張って笑顔で告げ、自宅へ帰りました。

…………その6日後。

私はまた病院に戻ってきました。再入院です。(続く)

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